2018/12/05
『ソーシャルゲームの課金』について議論する際、それがどこで、どのような文脈で語られるにせよ、『課金の意義』について触れないケースは存在し得ません。
もう少し具体的に言えば、『ゲームに課金なんかしたって配信終了した後には何も残らないよ?』とか、『ガシャなんてパチンコと変わらないよ?』とか、今となっては課金論争において象徴化したいくつかの問いにアンサーを持っているか?ということです。
まあ、この問いもネット上で長きに渡って使い古されており、その過程で大体の人が自分なりの答えを出しているとは思いますが、それでも今尚ネットのあらゆる場所で見かけるということは、『問い掛けずにはいられない』『反論せずにはいられない』、決して捨て置けぬ問題であるということでしょう。
今以上に『ゲーム課金』に対する忌避感が強かった2015年、私も当然この命題にはぶつかりました。
私としては、『何も残らない』という点は特に気にもしなかったのですが、やはり一番気になったのがギャンブル性、『どう考えても割に合わない趣味になる』という点です。
当時、このゲームにおいては『ガシャのSSR確率』は表示すらされておらず、『超UP』だの『超3UP』だの、胡散臭すぎる謎の売り文句だけがガシャ画面でギラギラとしており、『ここに金を入れるのはギャンブルに他ならない』という指摘は実にごもっともだ、と思ったものです。
推算で入手の期待値とか計算しても気が遠くなる金額がはじき出されるばかりであり、『課金との折り合いの付け方に着地点が無い』という印象を強く抱いたものです。
結論としては『月々、自分にとって余裕のある金額まで出す。それで出なきゃ諦める』以外にはなく、実際今もそうしている訳ですが、世間一般レベルで言えば『1つの趣味に投資出来る金額』に対し、キャラクターの排出確率というものがが余りにも低い。
1つの趣味に浪費する金額として、『月々3,000円の課金』というのは比較的常識的なレベルであるかとは思いますが、この程度の課金で期待値を計算してみても、全く現実的な数字になってこない訳です。
結局このゲームに限らず、ソーシャルゲーム界隈全体でこのような状況である訳で、『出るまで回す。出ないままで諦めたらここまでの課金がムダになる』という、絵に描いたようなコンコルド効果が、ユーザー間では『課金の正しい一つの在り方』として成立してしまう空気感を当時からして感じていました。
というかそうでないと、先の例で言えば『本当に欲しいものが手に入らないまま月々3,000円の金が毎月無為に消えていく』というパターンが発生する可能性も非常に高く、それが先ほど述べた 『課金との折り合いの付け方に着地点が無い』という印象に繋がっていく訳です。
もしもソーシャルゲームに数十年の歴史があれば、市場価値はもっと洗練されていたのかもしれず、現在多くのソーシャルゲームで見られる『天井機能』だの、海外でよく聞こえて来る『課金規制』の報だのは、まさしく市場洗練の足音なのかもしれませんが、当時はそんなものも無い訳で。
多くの人がその辺に折り合いを付けないままゲームをプレイし、そしてその結果、国内1兆円規模のソーシャルゲーム市場が出来上がったのでしょう。
かくして私も、明確な着地点を見いだせないままに『課金ユーザー』としての道を歩み始めました。
最初は『月1万円まで』とし(だったっけ?)、その後は『割引分だけ課金』というスタイルに変化し、幸いにも後者のスタイルは既に3年近くは続いているので、今後もこのペースで続けては行くでしょう。
ただ、それにしたって平均すると今の環境だと月2~3万円になってるし、ちょっと趣味としては重すぎじゃない?というのはありますが。
月2万~3万の趣味ともなれば、世間様に顔向け出来るご立派な趣味もいくつか思い浮かぶ反面、『ソシャゲに月3万課金してます』を世間様が許してくれるかどうかは想像に難くありません。
しかし、その『世間様』でさえ、1兆円規模でSNSを侵食しまくるソーシャルゲームを前に、どこまでが『世間様』足り得るのか?という思いもあります。
次回はその辺の、『社会がソーシャルゲームに向ける眼差し』について、色々と書き残しておきたいです。
…この話のテーマ何だっけ?(2カ月振り感)
…まあ、その内もうちょっと体系的にまとめるつもりなので…。